信長の野望・革新 -戦国日記-
長宗我部元親が今立ち上がる・・・
ということで、元親の野望も(違っ
1561年から時は進み1578年、史実だと元親の寿命もあと20年余り。
にもかかわらず未だ四国統一すら遂げられず
現在、島津家、大友家、三好家による長宗我部家包囲網を敷かれ
かつ毛利水軍にも攻められ、孤軍奮闘する元親であった。
と士気を高めながら勝端城を攻めたところ三好家重鎮、弾正少弼こと
松永久秀率いる部隊と戦いボロボロにぃぃー。
それならば、
おおっ、友よ!・・・になれなかった
大友家のいる九州を平定すべく、立花道雪や高橋紹運といった猛将が
立花山城に集まっている隙に府内館を攻め落とすことに。
そのあと相良家を滅ぼして龍造寺家と同盟するものの長宗我部家包囲網がー。
この包囲網、正直かなりのスリルが味わえます。
(包囲される大名の強さにもよるかと)
府内館を目指して北は大友、南からは島津が進軍を始め
各城から補給やら援軍やら府内館が修羅場と化していました。
それにしても技術革新が進んだ島津家を敵に回すと恐ろしいですぞ。
府内館をなんとか守りきって、試しに島津家の本城である
内城を攻めてみたのですが、
元親率いる足軽35000の部隊が島津の鉄砲10000の前では無力でしたー。
今作の革新は技術革新を進めないといかに領土の拡大が
難しいかわかった一戦でもあったのですが、
島津家との戦はもう少し
苦しまづ 注:(ず)
にやりたいものよ、と思う元親であった・・・( ̄▽ ̄|||)
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